Shinichi Hamano

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自然に生きる

「自然と一体になること。一生物としての人間にもっと近づき、純粋に、シンプルになること。」

これが、今僕の心の中にあるモットーです。

不思議な、そして素敵なご縁があり、今回僕は山口県阿武町で一週間ほど過ごしました。自然と触れ合いその恵みを頂く日々、僕にとって人生の師匠のような方と過ごす日々、この一週間は、間違いなく僕の人生の歯車がガラッと動き出した、そんな一週間となりました。その一週間を、少し写真と言葉を使って残したいと思います。

実はすぐそばにある宝物

「あれがオルガノ、ミント、ハーブ。そこに生えてるのは三つ葉。あれはもずくの一種、そこにあるのはワカメ、その茎の部分がメカブ。」

「自分は、目の前にある宝物に全然気づいていなかった… 」初めてやった畑仕事、そして磯歩きをしてそう感じました。いつもは陳列された綺麗なものしか知らないから、そこらに生えてる植物や海藻の存在に全く気づけていない。大げさかもしれませんが、暮らしが便利になった反面、そこらに転がる宝物に気付けなくなってしまっていたことを感じた瞬間でした。

コンピューターと人

「どんなに凄いコンピューターでも、AIでも、「発想」をすることはできない」

僕らが最も見逃しがちな「宝物」、それは自分自身の中にあるのかもしれません。

おそらく人間の脳を超えられる技術はないでしょう。なぜなら、どんなに高度なスーパーコンピューターでも、AIでも、「発想」をすることは出来ないからです。外の世界に触れ、感動し、何かを思いついたり発したりする。それは3歳の子供にだって出来ること。脳内で起きる科学反応、ここから生まれるエネルギーは、きっと自分らが思っている以上に凄いものなんだと思います。

自分の「脳」、これ以上の「技術」はないのに、僕はこれまで、最新技術に置いてかれまいと必死になっていた気がします。でもよくよく考えてみると、物凄い技術の結晶が自分自身の中に眠っているわけです。もっと自分の中に眠る「宝物」と向き合おうと思いました。

多くの技術が僕ら人間の可能性を広げてくれているし、別に最新技術を否定するつもりはありません。でも社会を見てみると、企業も人も、最新の技術に置いて行かれないように必死に競争している、そんな側面もある気もします。

じゃあ今すぐ、「コンピューターなんて捨てて自然回帰しろ」と言いたいのかと言われると、そうではありません。

能と機械

「接点がないようで、突き詰めてくとどこかに接点がある。例えば能楽師と昔の名車のメカニック。人間国宝と呼ばれるような人になると、たとえそれぞれがやってることが違っても、どこかで噛み合って話すことができる。そういうことができると本当に楽しい。」

どんなに古いものでも、それぞれの中で輝くものは時代や分野を超えて通じるものがある。古き良きを大切に、でも新しいものもうまく取り入れていく。そんな、時代や分野を超えた、良きハイブリッドのような生き方を僕は大切にしていきたい。

これは少し、人間とコンピューターの関係に対しても言えることかもしれません。人間にしか出来ないこともあるけど、コンピューターにしか出来ないようなことだってある。お互いの特性を突き詰めていくとそれぞれの良さが生きるような、そんなどこかワクワクする点が存在する。だから、何をコンピューターがやるべきなのか、その境界線を適切に引き、人間らしさを最大限に発揮できるような世の中にしていくことがすごく大切だと思います。

では人間にしかできないことって何なのでしょうか。

草を引く、草を刈る、

「本来は草を刈るではなく、草を引くと言っていた。草を刈るようになってから人の能力が落ちた。草を引いてる時の意識、僕はそれが好きだ。ただ、一つのことをたんたんとやってるように見えるけど、自然と繋がってる。一本一本抜いていく。意識が自然と一体になる。ただ草を引いているようで、いくつものことを同時にしている。これから何しようか、今日の晩飯は何にしようかって考えてるけど、回りにダンゴムシが何匹いるかだって把握している、色々なことを同時に考えれているし、自分の周りのことも把握している。自然と一体になってるんだよ。」

今の僕がもっと磨くべき能力は、こういうことなんだと思いました。自然と一体になれる、自然な状態になる、そんな本来の生き物としてのあり方を取り戻すということ。

自然が解き放つ波長と、自分をシンクロナイズして、自然の一部となる。意識せずに、無意識の状態になる。身体の周りに神経が張り巡り、自然と身の回りに起こっていることを感じれるようになる。生物としての感覚が研ぎ澄まされている状態になる。そうすると、文字どおり自然な動きや発想をするようになる。(そう考えると、僕はこれまで大抵「不自然」な動きをしていたのかも…)

そうやって、自分の中にあるノイズを排除していき、最後に残った最も純粋でシンプルな感情がきっと、自分らしさであり、生物としての人間らしさなんだと思います。色々と理屈で考えるんじゃなくて、単純にワクワクするのかしないのか、上手くは説明できないけど自分の心が喜んでいるのかどうなのか。そして、そういった、自分の心に素直に従った、純粋でシンプルな発想こそが、僕ら人間にしか出来ないことなんだと思います。

クリエイティブになろうって言ったり、面白いことを考えようって言っても、頭の中がノイズだらけでは中々そういうことは出来ない。しっかりと市場調査をやって、筋の通ったロジックで導き出した答えだったとしても、人の心のどこかをくすぐる何かがなきゃ、それは寂しい結果となってしまうこともある。それにそういう答えだったら、人じゃなくてAIやコンピューターの方が、ずっと短時間で簡単に導き出せるかもしれない。

「自分の心に素直に従った、純粋でシンプルな発想をする」

これは物凄く単純なことです。でも周りの目を気にしたり、結末を決めつけてその発想から目をそらしてしまったり、そんな頭の中がノイズだらけの状態では到底出来ることではありません。自然とのふれあいは、その「ノイズ」を取り除く一つの方法なんだと思います。

遊ばざる者、働くべからず

これはパタゴニアの創業者、イヴォン・シュイナード氏の言葉です。まさにその通りだと思いました。

好奇心やワクワクを大切に、本気で遊ぶ人じゃなきゃ面白いことなんて考えられない。どこから出てきた発想かはよく分からないけど、なぜかワクワクする。そんな人間にしかできないようなことを、これからももっと大切にしていきたい。

きっと、それが世の中を明るくする、素晴らしい仕事にもつながると信じています。

自然に生きる

カヤックに揺られるのもよし、淡々と草むしりをするもよし、森の中を歩くのもよし。何かしらの方法で自分のリズムが自然のそれと合わさった時、それは自然と自分が繋がっている時であり、自分が最もシンプル且つ純粋である瞬間なんだと思います。自然とのふれあいは、僕に子供のような純粋さを取り戻させてくれます。

自然が創り出す芸術を目の当たりにした時、僕は自然と心が感動で溢れ、最高にワクワクします。でも同時に、自分ではどうにも出来ない力の存在に気付き、静かで謙虚な気持ちにもなる。それは僕にとって一つの、自分の心に素直に従った、純粋でシンプルな発想が出来ている時、つまり「自然に生きている」瞬間なんだと思います。そんな瞬間に出会うことは僕にとってこの上ない喜びだし、その瞬間しか味わえない心の震えを誰かと共有できるのであればもっと嬉しい。

僕は、そういった瞬間に出会うためにこれからも旅を続けていきたいし、その感動をもっと誰かと共有していきたい。そして、人間にとって便利な世界を目指し続けるよりも、自然とたくさん触れ合って、不便な環境で創意工夫し、人間がどうやったら地球ともっとうまく付き合っていけるのかを考える、うまくお互いの合意点を探し出す、そういったことに自分の命 = 時間を使っていきたい。あくまで、僕ら人間は地球に生かされてるわけだから。

「自然と一体になること。一生物としての人間にもっと近づき、純粋に、シンプルになること。」

今書いていることは、まだその輪郭をつかみ始めたばかりの気づきであって、実際にはまだそれを実践できるレベルに至ってないかもしれません。でも、この気づきや感動を絶対に忘れたくないから、これから自分なりの自然な生き方をしていきたいから、こういう形で残したいと思いこのストーリーを綴りました。

不思議な、そして素敵な出会いにいつも心から感謝です。